食事らしい食事
今日も暑かったな(*´・ω・`)=3
肉体労働ゆえ、ひっくり返ることは人一倍気をつけているんだけど暑さに加え、湿気の攻撃はダメージ大だわ。
ガテン系は肉!とイメージが湧くかもしれないが、私の場合、胃腸がもたれるのであまり食べない…いや、食べられない。
心身のスタミナ切れならまだしも、身体の内側…内臓もかったるくなって、食欲もわかない。これはいかん。体力こそ仕事道具だから死活問題だ。
キノコ🍄。
最近の野菜の品種改良には、私の頭ではついていけん。最初からついて行く気もないのだけど。
「柿の木茸」とある。見た目がもうアレですよ。80年代の〇谷センター街にあった「いかがわしいキノコ」の生バージョンみたい(私の中では「夢見茸」)。
2パック¥58で手に入れた。リーズナブルかつ、ケチんぼ。同時にモヤシ¥30も買ったから、やっぱりケチんぼ。
今日は疲れに疲れているので、そんなに凝らない。味噌汁にして飲んでしまおう。具材に…
・柿の木茸
・ジャガイモ
・ワカメ
を、使用。ジャガイモはとある事情で頂いたモノ。ワカメは三浦半島かどこかで拾って、湯掻いて干しあげたモノ、いわゆる乾物。
ジャガイモはレンジアップして柔らかくし、ワカメも湯で元に戻しておく。
・・・まぁ、ただ味噌汁作るだけだから、詳しく書く必要もなかろう(手抜き)。
美味そうだ。不味いはずがない(と思う)。
ついでにナスの自家製ぬか漬けも取り出す。なんとか胃腸を元気にしたい。見た目いい感じ。即席ぬか漬けじゃ出ないよ、こんな雰囲気。
…うん、加熱に時間かけたからワカメが柔らかくなった。キノコはやや、繊維質だけどナメコとエノキの間の子(あいのこ)かな?ヌルヌル、シャキシャキが不思議な感じで丸のみしそう。
ナスのぬか漬けは辛子さえあれば、完璧なのだが、あいにく辛子がないため醤油+七味の味付けだ。これも悪くない。
食後、横になると牛になると言われた(死語?)が、胃腸を慮り横になる(モ~🐮)。
キノコの味噌汁がお腹を満たし、ハッピーとなり今宵は、良い夢を見させてくれそう。
※ちゃんとしたキノコです。行きつけの信頼できる八百屋で買っています。いかがわしいキノコなど食べてません、本当です。
倫理的生き物感?
以前、横須賀市の某釣り場紹介で、いらない魚を釣り場で干からびさせている・・・残念だ、と言っていた動画を見た。
わたしもまえに行ってみたが、まぁ…あるわあるわ。毒魚だし、すぐ、餌持って生きしで嫌われるアレが、転がっていたのね。
毒霧をそこらに転がすのは、転がす方の考えだ。毒持っているし、最も、ここら辺にはもっといっぱいいるよ、ということからきているのだろう。
個人的には、
(´・ω・`)「釣らないようにしたら?」
と、いいたくなるのだが置き釣りでは、万が一に釣れてしまうこともあろう。竿を置いているあいだにレモン酎ハイとピーナッツの組み合わせ・・・たまらん。ちょっとのことなんて、どーでもよくなる。
・・・なんてね。グダグダ言うお前はどうなんだ?と言われれば、いらない魚など即刻リリースだ。食べないし、なかには刺されたら(or噛まれたら)、ロクでもないことになるんだから、早めにお別れする。感情の切り替えは早い方が大事。
もちろん、抱卵モノ(ex.イシガニとか)も釣れたらリリースだ。
あと、あそこに〇△□がいる、とか✖✖✖のアレはとてもとれる、などと地域と取れるものをあたかも宣伝しているような文句、これはなるべく控えるか、ぼやかして言った方が良い。これはとれたり釣れたりしたら、気分よくやってしまいがちなので、私も注意、謹慎、そして自重しないといけない行為だ。
磯ものなどはとると、そのエリアの回復は遅い。たとえば…
o(*º▽º*)o「〇〇湾の地磯で△△とったお✌漁業権もないからいくらでもとれる🎇フリーなところ最高@_@」
これは、閉鎖的なブログでやるべきではないかな?それ以前にマナーやデリカシーの問題もある。昔人間がまだ、いるなら「はしたないから、およしなさい」と諌められるだろう(古風)。
アウアウセーフなこと、または誤解を生むようなことをネットにだすなら、ボカすか、出さない方が良い。「某なんとか」なんて使ったりしてね。
「個人的な体験談を表現して(コッチが)傷つくなんつもってのほか、あれこれ言われる筋合いはない」なんて、誰かさんは反論するかもしれないけど、ヤッパ、やらない方がいいことがあるかもよ?と私は言って立ち去りたい(ヘタレ)。
と、とにかくマナーというか、良心的な常識にのっとってアウトドアは楽しみたい。岸辺にいらない魚をポイはダメよ、感じが好ましくないよ。
身近な海へ
潮干狩りは、今年の分はもう終了していて、また12ヶ月近く待たないとできない。今回は潮干狩りが目的では無いため、とりあえず近くのコンビニで紙パックの安い烏龍茶を買う(¥108)。
レジにてガラの悪い若者(マイルドヤンキー)に割り込まれながらも、無事に烏龍茶を買い公園敷地内に向かう(震え声)。
最近見かけるのはディープな任侠者ではなく、クリーンで闊達なマイルドヤンキーが多い。なんだか、影というか業というのを感じさせないな*1。
公園は昔に比べるととても整備されていて、クリーンな感じだ・・・気ぃ休まるとこないわ。
ケパブの店とかあります。どこまでもクリーンな感じ。
一発目から危険信号あります。アカエイ。理屈っぽく書かれた看板からちょっぴり昔を感じさせる。活字が嫌いな人には、途中から読むのがイヤになるかも。
1つ詩でもできそうな、海と松林のカップリング。
「周りは工場 それを知らぬ松木かな 風と雲だけ知っている」
夏の海です。言葉なんていりません。
よくもまぁ、こんなに牡蠣を喰ったこと。牡蠣殻が半端ない量が沈んでいる。
付近にはついに県が、うるさく言わなくてはいけない事態になったらしく、「牡蠣とり禁止」の看板が見かけられた。船橋で一般人の貝類捕獲にはだいぶうるさくなった。
ホンビノス貝も沢山取れるし、商売になると、わかって船橋も本腰を入れて取り組んでいる、一般人がとるのNGな貝類だ。
ホンビノス貝は私の確認したところ、幕張、浦安、多摩川…おっとこれ以上は控えよう。とにかく沢山取れるなら、商売にしようとする自治体が出てきてもおかしくはない。
転売するため、知人親戚にわけるため、料理屋で使ってもらうためと、そんなことやってたら沢山とらなきゃならないわ。
田舎…というか、ちょっと前なら使うだけとるくらいが、不文律みたいなのがあった。いまは堂々と開けっぴろげで沢山とるから、取り締まる方もうるさくしなきゃいけない。慎ましく、お行儀よく、乙に…という加減がない。
湾奧といえば魚も油臭くなるので、私はあまりここら辺の海鮮は食べない。今日も沖がチョコレート色になっていたし、夏の海の甘臭さがあったので気が引けた。赤潮は夏の東京湾につきものだ。
近隣観光マップ。そこまで私は暇でも体力もあるわけではないので、見てるだけ。
突堤の最前線。さらに先の方で潮と戯れる人が…。だいぶ、沖に行ったこと。といってもここら辺は浅い。
振り返ってみると工場金属を山のように盛った塊が。
もう、夕方か?少ししたら帰るか。
*1:震え声
お香シリーズ
今日の中華街行きで、美味そうな中華料理をスルーした戦果。他にもナツメの大袋もあるが、それは置いといて。チャイハネや中華雑貨屋で買った以下。
・サイババ香 ¥150
・エジプトジャスミン香 ¥200
・中華サンダル香 ¥300
このサンダル香は初めてだが、そうめん状の香に火を点すらしい。黄色い色した沢山のソーメン香。香りはともかく、量が半端ない。6ヶ月くらいはありそうだ。
エジプトジャスミンは香りが良いのは分かっている。ナイトクイーン香よりも良いので、各地のチャイハネに寄ったら買うようにしている。
サイババ香も近所の人ド〇キで¥298と、別の意味で価格破壊を起こしているので、いつも買えず、指をくわえているだけなのだ。中華街に来た、ついで買いみたいな機会にサイババ香も購入した。
「貧乏と田舎だけはイヤだ」と誰かが叫びそうだ。
ちなみに同時に買った「横浜中華街 ごま団子謹製」と「パイナップルケーキ&ライチケーキ」は上納…献上いや、バラマキお土産のため自分では食べられない、というオチ。
・・・すごい美味しそうなんだけど。
中華街に行ってみた
昨夜まで続いた酷使的勤労のため出掛けは10時過ぎ、と遅めなスタート…そのうち、死にそうだ。
だけど、ひと1人がこの世から居なくなり、その分の医療費、食料品、遊行日など無くなれば、どれくらいあらゆることが助かるだろう?と不吉なことを考えてみる(ポジティブに)。
石川町から中華街入を果たす。天気が悪かったためか?人が少ない。あるいは昼時だから、レストランにみな、入っているのかもしれない。
強引な甘栗売りに注意の看板。日本人の「貰ったから買わなきゃ悪い」という心理に漬け込んだ、偉い、賢い、ねちっこい商売だ。
クリを強引に渡されたら、試食を勧められるのだから、返せば良いのだ、強引に。相手が引いたらポケットにでも突っ込んでやればいいのだ。
╮(๑•́ ₃•̀)╭「いらねーよん」
安くて、個人的には中華街に来たら、贔屓にしている八百屋さん。
・ラズベリー1パック¥150
・バナナ×3房 ¥100
・ドラゴンフルーツ1個 ¥198(確か)
・・・なによ、この破格な値段は?買わなかったけどさ。
地元のAE〇Nなら清々しく、ラズベリーを食べる母子のポスターとともに、売られるラズベリーが¥398は下らない。ドラゴンフルーツなんて、生モノ持ち込み禁止な病院の禁を破り、持ち込まれた見舞いのフルーツセットにあるモノを食べたことしか思い浮かばない。
◎帰りに店内のお菓子をお土産に買いました。
人少ないな。だけど、意外とツアー客が多かった。年配の口達者たちが、これまた口達者そうなバスガイドに連れられていったけど。
最近できたベビースターラーメンの聖地。中華街巡りの時間がもったいないので、いつもスルーしてる。時間があれば寄ってみよう・・・寄る時間は永久にできなかったりして。
中華(食、文化、医療など)を愛する人向けのマンションが新開発・・・ではなく、中華街の中心にある総合お土産ショップ。そう言えば上なんてあったっけ?
近くに崎陽軒の中華街支店もある。
私のような者が萬珍樓やこの界隈のホテルレストランに入るのは、諸事情によりためらわれるので、一番お似合いで、エコノミーなところに入る。野外、涼しー。
ハトポッポにお弁当(干し芋)をねだられ、狙われつつ、持参した黒豆ルイボスティーで身体を潤しながら、祭り準備の山下町公園でボーッと暇人をする(本性)。
工事中の関帝廟(?)。大陸人か邦人か分からないが、一礼して入っていく人がちらほら見られた。
孫文先生生誕150年のイベント。食品雑貨屋の隣にさりげなく貼られています。先生、凛々しく写っております。
・・・・・・・・・
そんなわけで、
( 'ω')「安いよ、たべほだい(?)無制限よ」
( °ω° )「飲茶、〇△□(聞き取れない)、美味しいよ」
な、お店や、
テレビチャンピオントップの肉まんや飲茶、スイーツなどの食べ歩きも無視して石川町駅に向かう。私の顔くらいある肉まんが美味そうだったな…。
貨物ターミナル駅に向かう貨物列車。磯子あたりに向かうのだろう。あるいは根岸線経由で東海道線に出るのか?
・・・では、帰る。
カレーリゾット
最近、胃腸が疲れ気味。
胃腸とは植物の栄養吸収にあたる重要な臓器だ。経口補水液が栄養吸収が良いのは、咀嚼もせず胃の蠕動運動さえいらないからだ。そのまま栄養になる。
ちなみに、点滴で身体を栄養するのは、より直接的だ。血管に直接、栄養を流し込むからだ。とても痛くて、合理的かつ効率良い栄養摂取だろう。
・・・・・・
さて、そんな発想おバカなことはこのくらいにして、夏バテ気味な身体を労りたい。身体自体が肝臓の解毒や腎臓の濾過作用、肺のガス交換など、機能的に行うあたかも工場のようなもので、その機能を栄養する大元、胃腸が弱っていてはどうしようもない。
・・・・・・
もう、理屈っぽい話はこのくらいにして、夏バテ対策。
今回は粥(リゾット)を作る。いつもは味噌や醤油の味付けだが、今回はカレーでやってみる。
インド人が日本カレーがマイルド過ぎる、中華料理みたい、と言われるのは隠し味に醤油やソースを使っていることがある。
(´・_・`)「しょうがないよ、ここは日本だもの」
去年の神田カレーグランプリで作ってきたカレールー(無料)。
カレールーが、いつまでもつのか分からないが、放置=熟成と考えれば(思い込めば)、腹痛を起こさない限り大丈夫なはず。コレを使います。
作り方はいつもの通りテキトーに。冷蔵庫の余り物をふんだんにケチり、ナス🍆ジャガイモ、エリンギ、タマネギをレンジアップして、熱した豆乳にドボン!
不殺生を守り肉を全く使用せず、豆乳を使うのはあくまでも、生き物を大事にし、自らの胃腸も労りたいからです(偽善者)。
豆腐も入れます。もう何の料理だか分かりません。
味付けは砂糖、カツオだし、醤油、梅干し(微量)、カレールー、塩で最後に味を整える。
昨日の午前中、地下鉄サリン事件を引き起こした、トップレベルな人達がついに処刑されたという。私個人的には全体構造な問題があるような気がする。
高学歴なのになんであんなことを!という人がいるけど、それなら東大卒があらゆるところで、バカをやっているか?といったらわからんもんでしょ。
難しい問題を含んでるのよ。それが未解明なまま、後味が悪く終わってしまったなぁ…。
などと、思いつつ和風カレーリゾットが完成する。
黒豆ルイボスティーとともに頂く。あくまでも胃腸を労る。
✌(((´>ω<`)))美味い。ケチって少ししか入れていない、(無料の)カレールーが全体に染み込んでカレーらしくしている。
食感はカレーうどんがメシになった感じ。トロトロ感がうどんだけじゃ足りないので、メシを足した、みたいな食べごたえだ。
ざく切りジャガイモがボリューム感を出し、入っているんだか分からないエリンギを見つけて食べるのも、自作料理を食べるの楽しみのひとつ…でもあり材料を少なくせざるを得ない悲しみだ。
カフェインは胃を荒らすということを又聞きしたため、ノンカフェインのルイボスティーだ。そこにダイソーの炒り黒豆を少し足して、香ばしさを加えてみた。
小鍋いっぱいに作られているから、しばらくはカレーリゾットを楽しめる。加熱しながら食べれば食中毒にならない。それでも日が経つにつれてお腹の具合が悪くなりだしたら、食中毒菌がはびこったというサインだから、止めておこう。
学び、あるいは処世術
多少の自閉傾向のある私だが、人と目を合わせるというのがなかなか、上手くいかない。
「目を合わせる」というのは、人と人とのコミュニケーションの一環だったり、挨拶代わりだったり、任侠者の眼(まなこ)による鍔迫り合いだったりする。目で相手に切り込んでくる。
なかには人間同士の「格のつけ合い」という意味も含まれるかもしれない。「コイツは自分より弱いな」「コイツは自分よりデキるな」とか。
見たものがアメジスト(だっけ?)になるという神話や、メデューサの頭のように見たものを硬直させるという神話。神話に見られるように、目というのは威力の高い器官なのかもしれない。
とある自閉症児の記事を見た。彼が人を見る時のコツとして、目の前の人をあたかも透視するようにバックを見る、とのことだ。
自閉症スペクトラムまでいかなくても、視線恐怖、対人恐怖(最近減ってない?)を持つ人も少なくはない。
私にしても今まで職場で、
(`Д´)「お前、人の目を見て話せよ!なんで、視線外す?」(←世の中の常識だ!みたいなニュアンスもある)。
と、あらゆるところで言われてきた。たぶん、これからも言われ続けるだろう。
それにしても自閉症児の「相手を透視するように見る」やりかた、実に使えるように思う。
じっと見てくる相手の視線の強さは、自閉症児(者)にとってはパニックを起こしかねないほど、強烈なものらしい。
欧米では目を見て話すというのが、スタンダードらしいが私の感じたところ、彼らは淡白な感じだ。この国の目を見て話す、というのはベタついた感じがある。イチモツ腹にあるような目の合わせ方が、居心地を悪くさせる。
とにかく、対人恐怖や自閉症、視線恐怖などは克復することを強く求められるが、そのほか、あるがままに受け入れるとか…あるけど、その人が生活しやすくするのがベターではないか?工夫である。