学び、あるいは処世術
多少の自閉傾向のある私だが、人と目を合わせるというのがなかなか、上手くいかない。
「目を合わせる」というのは、人と人とのコミュニケーションの一環だったり、挨拶代わりだったり、任侠者の眼(まなこ)による鍔迫り合いだったりする。目で相手に切り込んでくる。
なかには人間同士の「格のつけ合い」という意味も含まれるかもしれない。「コイツは自分より弱いな」「コイツは自分よりデキるな」とか。
見たものがアメジスト(だっけ?)になるという神話や、メデューサの頭のように見たものを硬直させるという神話。神話に見られるように、目というのは威力の高い器官なのかもしれない。
とある自閉症児の記事を見た。彼が人を見る時のコツとして、目の前の人をあたかも透視するようにバックを見る、とのことだ。
自閉症スペクトラムまでいかなくても、視線恐怖、対人恐怖(最近減ってない?)を持つ人も少なくはない。
私にしても今まで職場で、
(`Д´)「お前、人の目を見て話せよ!なんで、視線外す?」(←世の中の常識だ!みたいなニュアンスもある)。
と、あらゆるところで言われてきた。たぶん、これからも言われ続けるだろう。
それにしても自閉症児の「相手を透視するように見る」やりかた、実に使えるように思う。
じっと見てくる相手の視線の強さは、自閉症児(者)にとってはパニックを起こしかねないほど、強烈なものらしい。
欧米では目を見て話すというのが、スタンダードらしいが私の感じたところ、彼らは淡白な感じだ。この国の目を見て話す、というのはベタついた感じがある。イチモツ腹にあるような目の合わせ方が、居心地を悪くさせる。
とにかく、対人恐怖や自閉症、視線恐怖などは克復することを強く求められるが、そのほか、あるがままに受け入れるとか…あるけど、その人が生活しやすくするのがベターではないか?工夫である。