SouthApollon’s diary

海や山とか自然のこと、最近読んだ本のこと、日常について

つながりとはなんぞや?

縁あってひきこもりの人と話す機会があった。衣服に若干の時代遅れとヨレヨレ感をもっていたが、会話はフツーにできた。

私の実感として、彼らに感じるのはその状況に座っているかな?と印象を受けた。別に良い意味も悪い意味もなく。過去があるなら今がある…って感じ、それを目の前の人に感じたことだ。

彼らについて賛否両論は過去からある。だけど、いま世の中の人を見渡せば、ネットと切れない人が多いだろう。あるいはゲームとか。

私が感じるのはスマホが手放せない人もまた、過剰なコミニュケーションに陥っているのではないか?と、そう感じるのだ。

たしかに、重要なやり取りを始終しているのかもしれない。だけど、いつもそんなやり取りをしていて肩が凝らないだろうか?と思う。

twitterやLINEは通信手段、情報獲得のツールは分かるけど、人の頭が果たしてついていけてるのかな?とも思うのだ。

いつも、画面を見続ける人を傍から見ると、肌身のコミニュケーションではなく、結局のところ人ではなく、情報とやり取りしているのだな、という気がする。

これは、なんだか「外(そと)こもり」じゃないかな?と思う。ちゃんと人とコミニュケーションしているように見えて、実は画面のなかの人の思念…身体を含まない純粋な情報思念とやりとりしている、ようにみえる。

息遣い、皮膚感覚、雰囲気を欠いた、何か足りないコミニュケーションに感じる。